宝石のような紅い飲み物「紅茶」はどのように誕生したの?

チャノキの葉を完全発酵させることでできあがる紅茶の茶葉。そもそも「お茶」という飲み物は中国で生まれました。

お茶が中国で、どのようにして生まれていつ頃から飲まれ始めたのかというのは、中国の文献などにも載っていないので詳しいことは不明です。

ただ、中国が漢だった時代の242年から283年くらいの文献にお茶の名前が登場し始めていて、本格的に飲まれ始めたのは唐の時代と言われています。

中国で親しまれていたお茶が、紅茶という飲み物になり始めたのは、16世紀後半のことだったと言われていて、中国南東部にある武夷山星村鎮村で作られました。

紅茶はイギリス発祥だと思っているひとがいることも珍しくありませんが、イギリスは紅茶発祥の地ではありません。

紅茶は中国で発祥し、イギリスで親しまれ広められた飲み物なのです。

そもそも中国で生まれた紅茶は、発酵させるお茶としてウーロン茶を作っている過程で生まれたものだと言われています。その紅茶は「正山小種」(ラプサンスーチョン)といいます。

16世紀後半、戦争に敗れ、その土地に移り住んだひとたちが、より高値で取引されるウーロン茶を作ろうとしました。

しかし、葉を半発酵させるための設備が揃っておらず、松を燻すことで発酵を止めようとしたところ、松の煙の香りが葉に移ってしまったのです。

そして、発酵を促すためにほどこした揉むという作業が強すぎてウーロン茶よりもさらに発酵の強いお茶ができあがったのです。

このお茶は、ウーロン茶とまったく違うものになり、松の煙の香りがする正山小種が生まれました。

正山小種はイギリスでは「ボーヒー」と呼ばれて、世界初の紅茶として認識されています。

イギリスでボーヒーが飲まれるようになったのは1650年にコーヒーハウスがイギリスにできたことがきっかけです。

輸入され、コーヒーハウスなどで提供されていたお茶は、その多くがシングロと言われていた緑茶で、紅茶であるボーヒーは全体の3分の1程度でした。

しかし、その後イギリスの水の質も関係し、次第に多くのひとが紅茶を好んで飲むようになったと言われています。

また、紅茶といえば宮廷の貴婦人や身分の高いひとが飲んでいるというイメージがありますよね。

イギリスの宮廷内で紅茶を飲んだのは、1662年にポルトガルから輿入れし、チャールズ2世の妻になったキャサリン・オブ・ブラカンザというイギリス王妃のひとりです。

嫁ぐ際に必要な持参金に、たくさんのお砂糖や家具などを持ってきましたが、その中にキャサリン妃自身の体のための薬としてたくさんお茶を持ってきていたことがきっかけです。

当時のお茶は大変高価なもので、とても身分の高いひとでないと嗜むことができない珍しいものでもありました。そのお茶をキャサリンは部屋に訪れる客や婦人にふるまっていくうちに、女性たちの憧れになりました。

そして、紅茶をひろめたのは「女王の紅茶」として多くのひとにお茶をふるまったというアン女王です。

アンは、1665年にジェームス2世とアン・ハイドの間に生まれた公女で、非常にお酒、とくにブランデーが好きだったことで知られている女性ですが紅茶も愛していたと言われています。

当時は貴族階級のひとしか口にできない高貴な飲み物と言われてきた紅茶も、現在のイギリスでは一日に1億6500万杯の紅茶が飲まれており、イギリスのひとたちに欠かせない身近な飲み物となっています。

ちなみに中国で最初にできた紅茶は今でも、ラプサンスーチョンと呼ばれて中国紅茶として知られています。

当時の中国でもおこなっていた葉を松の煙で燻した茶葉で、現在ではフレーバードティーとして認識されています。